台湾ではあなたがお店を出る際に「Laïzé」と声をかけられて見送られるでしょう。
この「Laïzé(またいつでもお越しください)」の言葉には台湾人の、お客様にまた好きな時に気兼ねなく立ち寄ってもらいたい、という気持ちが込められています。
私たちはこのおもてなしの精神を台湾からパリに持ち込み、広げるべく、皆さまをお待ちしております。台湾の伝統的な茶文化とモダンなライフスタイルが出会うこのLaïzéの空間で、味わい深く、リフレッシングなお茶をいつでもお気軽にどうぞ!
私たちの茶葉は、台湾中部にあるパクア山の湧き水が引かれた南麓で育ち、一切の添加物なしに極上の香りを放ちます。そして、台湾の文化的中心地である台南に運ばれ、天然の香りだけでなく歴史的な香りづけもされながら生産されます。
蜂や蝶が飛び交う私たちの茶畑では、茶の木は周りに他の野生植物がある中で、1つ1つ細心の注意を払って育てられ、その葉は手で摘み取られます。この完全に自然でエコシステムを尊重した栽培環境の下で品質の高いお茶が作り出されるのです。茶の葉は熟練のティーマスターの手によって発酵、焙煎され、その過程を経たのちに1杯のフォルモサ茶の香りを味わうことができるのです。
お茶はアジアにおいて何千年もの歴史があります。古代ではお茶は薬であると考えられ、支配階級・知識階級の飲み物とされていました。9世紀になるとお茶は仏教とともに日本に輸出され、そのスピリチュアルな面を強めていきます。
台湾は当時Formosa「麗しの島、台湾島」として知られ、その名にちなんだCamellia Formosensisという固有の茶の木がありました。さらに19世紀には台湾・西欧諸国間の貿易の活発化により台湾により多くの茶樹が輸入され、その栽培に適した気候を生かし育てられた茶樹は他の国々に輸出されるようになりました。
1895年以降、台湾は日本の統治下におかれ、お茶の商業はかつてないほど繁栄していきます。
1900年にはパリ万国博覧会でフォルモサをはじめとする数々の台湾のお茶が展示・試飲され、ウーロン茶が最優秀賞を受賞し、世界最高級のお茶の1つとしてその地位を確立しました。
この万博によって、台湾茶のフランスへの扉が開かれたのです。
明治維新(1868年)の後、日本は西洋文化を取り入れ始め、紅茶を飲むことが日常的になっていきました。増え続ける需要を満たすため、台湾は既存の伝統的なお茶に加えて紅茶も生産するようになります。1937年にはフォルモサ紅茶がロンドンのオークションハウスでプレミアムクラスの紅茶として評価され、日本の皇室に飲まれるお茶ともなりました。
第2次世界大戦後、台湾のあるバーで、日本人オーナーから経営を引き継いだ台湾人従業員が、お酒を売る代わりにお茶を出し始めました。この新しい台湾人オーナーは、アイスティーを作る際にカクテルシェーカーによって生み出される繊細な泡が、紅茶元来の苦みを和らげることに気づき、これがバブルティー(タピオカティー)の始まりとなります。
それ以来ますます多くのティーサロンがバブルティ―の製法をベースに試行的な飲み物を出し始めました。現在、台湾のみならず世界中に数えきれないほどのティーサロンを見つけることができます。この特徴的なお茶は台湾茶を単なる輸出品から台湾を代表するモダンなライフスタイルへと変化させたのです。
近年、製茶技術は向上し続け、台湾のお茶を唯一無二のものにしています。伝統的な茶道であれ、トレンディーなバブルティ―であれ、是非その台湾の茶文化の多様性を体感してみてください!
もらいたい、という気持ちが込められています。